大島紬の歴史

長い歴史に紡がれた「絣の宝石」

奄美における養蚕の歴史は古く、奈良朝以前から手紡ぎ糸で褐色紬がつくられていたといい、奈良東大寺や正倉院の献物帳に「南島から褐色紬が献上された」との記録が残されています。9世紀のころ奄美は遣唐使の通路であり、その中継基地として発展していたことが窺え、また、朝廷への往来も頻繁で、その際の貢物として褐色紬が献上されたとの説もあります。
明治の世になると、本場奄美大島紬は奄美の人々によって、鹿児島や大阪等の市場に出廻り、泥染めの渋い絣紋様が人気を呼び、急速な進展をみました。また、木綿針で経絣を伸縮させる絣調整技術の考案、イザリ機から高機に改良されたことによる生産能率の向上、手括りによる絣出しから締機による織絣法の開発など、数々の技術革新により、格段に高品質な繊細にして鮮明な泥染大島紬の生産が可能となりました。
その後、第二次世界大戦により統制と減産で壊滅的な状況に陥りましたが、戦後関係者の努力によって急速に復興し、従来の泥染大島紬に加え、泥藍大島紬、色大島紬、草木染大島紬などの新商品が続々開発され飛躍的な発展を遂げ、今日に至っています。
古からの伝統と革新を繰り返しながら発展してきた本場奄美大島紬は、1反(約12m20cm以上)の中に何万個というおびただしい十ノ字絣で構成されることから、「絣の宝石」ともてはやされています。